★天国へ羽ばたけ ニッキー・ヘイデン 気さくなスターを応援するために掲げたアメリカ国旗

2006年のチャンピオンシップ優勝を飾ったニッキー・ヘイデン選手がクールダウンラップで掲げたアメリカ国旗。この国旗に関するMotoGPジャーナリストMarcelo Carboneさんのお話です。翻訳しながら思わず泣いてしまいました。。

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これからお話する話を聞けば、なぜ私が、いつ、どこで、どのようにしてニッキー・ヘイデンに会ったのかをけして忘れる事がないのかを理解してもらえるだろう。それは2002年の11月1日金曜日、バレンシア・サーキットだった。

その当時の私は、AMAチャンピオンシップにはそこまで注意を払っていなかったと認めざるを得ないだろう。ただヘイデンの存在については数ヶ月前から、特にHRCが、ヘイデンがオフィシャルライダーとなり、レプソルホンダチームでバレンティーノ・ロッシのチームメイトになると発表して以来知っていた。しかし、私のヘイデンに関する知識、そして彼への関心はHRCの発表によるものではなく、私の娘のサラからの影響によるものだった。彼女は当時僅か14歳で、チャーミングでハンサム、非常にナイスガイなアメリカ人ライダーが世界選手権に参戦するのだと私に言って聞かせていた。

それがニッキー・ヘイデンだった。

サラはいくつかのグランプリで私に付いてきたが、その中でも彼女にとって初めてとなったのは、2002年の世界選手権の最終戦だった。それは11月1日の金曜日だった。昼頃にパドックを歩いていると娘が気が狂ったようになった。子供というのは何か欲しいものを見ると狂ったようになるものだ。(時には子供だけではないが)興奮して彼女が言った「Patito、Patito、ニッキー・ヘイデンがいるよ!」Patitoというのは、サラが私といる時に私の注意を引きたい時に使う言葉だ。何か急を要する時などだ。正直言って、その当時はヘイデンをパドックの中にいる数千もの人の中から見分ける事は私には出来なかった。そしてこの時はバレンシアのパドックであったからなおさらだ。彼は普段着を来ていて、将来HRCライダーになるとわかるようなものは一切着ていなかった。彼が私の目の前に立っていたとしても、私は彼が誰であるかわからなかっただろう。

ヘイデンはパドックを1人で歩いていた。誰も彼の事には気が付かなかった。私達は彼に近づき自己紹介をした。私は彼に、私は世界選手権のジャーナリストで彼を歓迎する旨、オフィシャルホンダライダーとして契約出来たことについておめでとうと伝えた。非常に注意深くヘイデンは私にこう尋ねた。「あなたの名前をもう一度教えてもらえますか?」私はもう一度名前を伝え、彼は私に「いいですか?」と尋ねて、名前、メディア名などが印刷されている私のプレスパスの裏側を見た。私は娘が彼のことに気づいたのだと伝えた。すると彼はすぐさま「君の名前は?」と娘に尋ねた。「サラです。」と娘が答える。私とニッキーがその後何度も合うたびに、彼は娘はどうしているかを尋ねたが、娘の名前を聞き返す事はけしてなかった。(※一回で名前を覚えてくれたということ)

レースウィークの中で私達は彼に何度か会った。私達が彼を見かける時はいつも彼は1人で、彼が私達を見かけると、彼は今まで私達と知り合いだったかのように振る舞ってくれた。彼は娘を名前で呼んでくれ、サラの英語のほうが私の英語よりも上手だったのもあり、彼らは会話を楽しんでいた。私が”ケンタッキーキッド”から得た印象は最高だった。私は心底感心していたし、実際私たちは彼に感心していた。

数ヶ月後、2003年3月の初め、IRTAテストがモントメロで行われた。これはヘイデンにとって待ちに待ったオフィシャルHRCチーム入りだった。

こうした事もあって彼らは大きなメディア用のテントを建てた。その中にはワールドチャンピオンシップに関わっているありとあらゆるメディア関係者がいた。ひとたびジェファゾス(レプソルHRCのトップ)のスピーチが終わると、質疑応答が始まった。私は質問の数は数えなかったが、もし25の質問があったとしたら、25はバレンティーノ・ロッシに向けられたものだった。決まりきった退屈な質問が続き、誰も最年少のAMAチャンピオンのことなど気にもかけていなかった。私はレプソルのお偉方の1人であるハビエル・インクランに近づき尋ねた。「ハビエル、この質疑応答は退屈だ。ちょっと面白い質問をしてもいいかな?」インクランは「すぐにやってくれ。」と言った。

ボスから承認を得たので(世界的なプレゼンテーションの場で目立ったり馬鹿な真似はしたくなかったので)、私はマイクを渡してもらえるように頼んだ。私はテントの中でもほぼ後ろ側にいた。マイクをもらうと私は尋ねた。「これはニッキー・ヘイデンへの質問ですが。。」その時までヘイデンは下を向いて自分の膝を見つめていた。自分の名前を聞くと彼は驚いたように顔を上げた。私は「ニッキー。私の娘は14歳であなたも面識がありますが、あなたに恋しているんです。そして彼女は私があなたに会うのを知っていて次の2つの質問をするように頼みました。1つはガールフレンドはいるのか?もう1つはスペイン人の女の子は好きですか?というものです。」

笑いが巻き起こったのは想像に難くない。ベテランのMotoGPジャーナリスト達が、最高峰のライダーであるバレンティーノ・ロッシに、テクニック、今後の見通し、チャンピオンシップへの期待などを聞いている中で、頭のおかしな奴がニッキー・ヘイデンに質問をしたのだ。ヘイデンはもちろん2つの質問に最大限正直に答えてくれた。しかし場の雰囲気は退屈なものから面白いものへと変わり、それで質疑応答のセッションは終了した。

数年後の2006年、ヘイデンはチャンピオンシップの優勝候補で、ロッシはライバルチームにおり(その当時のヘイデンのチームメイトはダニ・ペドロサだった。)ヘイデンはラグナセカで優勝していた。レース後のプレスカンファレンスで、私はヘイデンに近寄りバックパックを開けて、新品のアメリカ国旗を見せた。私は「ニッキー、ここでは25,000人の人々が、君にレース優勝を祝ってアメリカ国旗を渡そうとしていた。今日からこの国旗は私と毎戦を共にする。そして、私はこの国旗を君がチャンピオンシップ優勝した時に渡すよ。」と伝えた。ヘイデンはいつものように笑って、私が彼を信じていることを嬉しく思うと伝えてくれた。

数ヶ月後、ダニ・ペドロサのエストリルでの大失態の後(※エストリルでペドロサ選手はヘイデン選手のインに入ったところで転倒。チャンピオンシップリーダーだったヘイデン選手を巻き添えにして転倒した。)、私はそれでもニッキー・ヘイデンにかけていた。私はバレンシアにアメリカ国旗をバックパックに入れて持っていった。ロッシは最終戦でもリードをしており、多くの人が私がニッキー・ヘイデンがチャンピオンシップ優勝すると考えていることを馬鹿馬鹿しいと思っていた。ある人は私がニッキーが優勝すると考えているのは、ジャーナリストとしての客観性ではなく、娘のサラとニッキーの友情があるからだと言っていた。確かに私も自分の持っている確信について説明するのは難しかったが、私には私の言い分があった。

私はいつも通りレースを見にトラックに向かった。その時は私は友人のヴィセンテと一緒だった。彼はアレックス・クリビーレの親友で、モーターサイクル狂いの男だ。彼と私はニッキーが優勝すると思っていた。私はバックパックの中にアメリカ国旗を入れており、トラックに向かう前にレプソルのボックスを通りかかり、ダクトテープを貰えるか頼んだ。偶然私はプラスチックの箒を見つけ、ブラシの部分からネジ式の柄を抜いて柄の部分を”拝借”した。

何が起こるのかわからなかったので、私は最終ラップまで国旗を箒の柄に付けないでおいた。知っての通り、ロッシは序盤の数ラップで転倒していたが、私も誰が勝利するか予想は出来なかった。ヘイデンが最終ラップに入ると、私はバックパックから国旗を取り出した。不安から私は震えだし、ヴィンセンテにレプソルホンダから拝借した箒の柄に、国旗を取り付けるのを手伝ってもらった。

私たちはターン1とターン2の間の短いストレート区間におり、私はこれからしようとしていることに関しては以前に経験があった。(私はダニ・ペドロサがチャンピオンシップ優勝した3回とも、彼にスペイン国旗を渡しており、同様にアルヴァロ・バウティスタにもそうしていた。)マーシャルは私に気が付き、私はトラックに入る許可を得た。

そしてそこに、既に世界チャンピオンになったヘイデンが現れた。彼は私を見てバイクを止め、私たちはハグを交わし、私は彼に国旗を渡した。ヘイデンは子供のように泣いていたが、私も同じだった。

その少し後、決勝レース後のプレスカンファレンスで私はヘイデンでハグを交わした。彼は国旗のお礼を私にした後「自分があげられるのはこれしかないよ。」と言ってバレンシア・サーキットと印刷されている小さな白のタオルをくれた。それは、彼がプレスカンファレンスの間、汗を拭っていたタオルだった。

プレスカンファレンスが終わり、混乱して無秩序な中、私はニッキーの兄弟の1人であるトミー・ヘイデンと話した。私は、私がヘイデンに国旗を渡した人物であることを告げ、その国旗を返してもらえないかと尋ねた。パルクフェルメとプレスルームへの移動の間に、この国旗はどこかに忘れられてしまったのだ。トミーは「わかった。君のところに持ってこよう。」と言い、国旗を見つけて私に返してくれた。私はこの国旗を未だに持っている。そして今この瞬間、私が唯一望むのは、この国旗をヘイデン一家に贈りたいということだ。もしそれが可能であれば、私は個人的にオーエンズボロに向かい、彼らに直接この国旗を渡したい。

国旗に関して話をすると、オーエンズボロの市長であるトム・ワトソンは、ニッキー・ヘイデンの故郷の街で、新たな指示があるまで半旗掲揚をするように命じている。私の持っている国旗。。ニッキーとの友情、感動、私が感じた悲しみ、本物のライダーからの承認を意味し、気さくなスターを応援するために私が掲げたこの国旗は、私の記憶が薄れ、ニッキーのように人の心を引きつけ、忘れがたい人物が現れるまで、ずっと半旗の位置ではためくだろう。

もう1つの国旗。私がニッキーにバルセロナで渡した国旗は、願わくば彼の家族と共にあってほしい。こうした辛い時は感情が表に出て混じり合う。私はオーストラリアのフィリップアイランドに行くたびに、トラック近くのビーチを訪れるのを忘れない。そこにはここで亡くなった人を追悼する記念碑がある。この心からの記念碑は「天国へ羽ばたけ」という願いの言葉で締めくくられている。

天国へ羽ばたけ。ニッキー・ヘイデン。

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