今年は自分の年になると感じていた

ホルヘ・マルティンは、ソリダリティGPで3位に入り、フランチェスコ・バニャイアとのタイトル争いに勝利。4年共に戦ったサテライトチームのPramacでチャンピオンシップ優勝を達成した。タイトル獲得直後の喜びを語ったマルティンは、これまでの努力が報われた瞬間に深い感謝を示し、家族や友人たちとこの勝利を分かち合いたいと話した。今年を通じてメンタル面での課題に取り組み、失敗から学びを得た結果、ついにその栄光を掴み取ったと振り返った。

ホルヘ・マルティン

「本当に嬉しいです。多くの人に祝福してもらえて自分も泣いて、今は少し落ち着いています。タイトル獲得から1時間が経過していますが、しっかりと家族、友人達と祝福をしていきたいと思います。本当にここまで来るのに長くかかりました。多くの時間を費やしてきましたし、自分の時間も投資してきました。」

「常に良い人間になれるように努力してきました。昨年はチャンスがありましたが、タイトルを獲得する準備が出来ていなかったと言えるかもしれません。今年は自分の年になると感じていました。Pramac、そして素晴らしいバイクを4年間使用させてくれたDucatiに感謝しています。ペッコと最後まで戦えるバイクを提供してくれました。」

「今日のタイヤチョイスは難しい状況でした。ライバルの選択を見ても迷いましたし、トップ10の選手皆がスピードがある状況だったんです。最終的にはミディアムを使用することが、最も無難だと考えたんです。ソフトのほうが競争力があったかもしれませんけど、自分に対しては自信がありました。タイヤ選択を失敗しても9位には入れるだろうと思っていました。」

「残り7周で本当に苦戦しました。今日はしっかりと集中していましたが、多くの事を思い出しながら走っていました。子供の頃は父が仕事を終えた後に一緒にトレーニングをして、母が料理をしてくれました。祖父は空から見守ってくれていますが、何事もレースを完走しない限り終わらないと自分に言い聞かせて走っていました。最終ラップの時点ですでに泣きそうになっていたんですが、フィニッシュラインを超えて涙が出てきました。ほぼ自分の家族が揃っていますし、友人も揃っていますから、今夜は最高のパーティーになりますね。」

「昨年はタイトル争いの際に名前が書かれたプレートを見ていましたが、まだその準備が出来ていなかったと思います。今年は撮影の間にトロフィーを見てもいませんでした。今日はレースを本当に楽しんでいました。2018年にMoto3でタイトルを獲得した時は、すぐにMoto2タイトルを獲得したいと考えていて、タイトル獲得を十分に喜んでいませんでした。」

「今はこの瞬間を楽しんでいます。これからも全力で進んでいきますが、すべてを楽しんでいきます。アプリリアでも優勝を狙っていきますが、今はこの瞬間を楽しみたいと思います。今年重要だったのは今までのミスから学び繰り返さないということです。人間ですからミスはします。ミスからポジティブな点を学んで繰り返さないことです。将来がどうなるかわかりませんから、過去から学習して現在を全力で生きるということですね。」

「今年はメンタル面で苦戦しました。昨年は2位で年間を終えたわけで良い結果ですが、今年はメンタルコーチと共に、負ける恐怖ではなく、勝利の喜びにより集中してレースを行いました。負けたところで人生において死んでしまうわけではありませんからね。先週はトレーナーと共にトレーニングをして今週に挑みましたが、努めていつもどおりの過ごし方をしました。」

「ルーキーズカップでの成功がなければ今がなかったと思います。今まで125ccは乗ったことがなくスピードを発揮出来ましたが、若すぎたので、1年後にまた来てくれと言われました。そして1年後に戻ってきて最速でした。あの時点でピックアップしてもらわなければバイクはやめていたでしょうね。その後ルーキーズカップで優勝した事が今につながっています。」

「タイトルを獲得したことで1つの目標が完了したと感じているので、明日引退してもハッピーではいられると思います。ペッコも言っていたように、自分達は若く、まだ8年から10年は現役で走れるでしょう。将来に向けては大きなモチベーションがあります。」

「これからも機会があればタイトルを狙っていきますが、今回のタイトルは自分の人生においては、そこまで大きな変化はありません。でもチームを含め自分を支えてくれた人たちにとっては大きな意味を持ちます。Pramacのパオロにとっては25年間の中で昨年に引き続き2年連続でこういったチャンスを提供出来たと思っています。」

「2022年はバイクも機能しておらず、エネアにもシートを譲る形となり、辛いシーズンでした。Ducatiにも大きなプレッシャーがかかる中で、彼らは最終的にマルクを選んだわけですが、自分はDucatiが間違っていたと証明したかったわけではありません。ひたすら自分達の作業に集中してきました。2022年のDucatiの意思決定があったから自分はPramacと戦えたわけです。Ducatiファクトリーには縁がなかったわけですが、人生とはそんなものです。タイトルを獲得するのにPramac以上のチームはなかったでしょう。」

「Pramacとは4年間一緒にやってきました。アスパー、Gresini、KTMと2年ずつやってきて、4年間のチームは初めてで、本当に家族のようなチームです。それに加えて来年はDucatiシートに座ることは叶いませんが、Ducatiは戦うためのツールをすべて提供してくれました。ジジ・ダッリーニャは自分に大きな信頼を与えてくれました。彼らがライダー選択をする時に、自分が最高の状態ではなかったということでしょう。Ducatiのクラウディオ・ドメニカリにも最適なツールを提供してくれたことを感謝したいです。」

(Photo courtesy of michelin)