ジョナサン・レイはスコット・レディングとの対談の中で、スーパーバイク世界選手権(SBK)で過ごしたホンダ時代の最後に、Ducatiに移籍していたかもしれなかったと語った。

一方のレディングはライダー人生の転機となったMoto2、そしておよそプロフェッショナルとは言い難い状況での参戦を余儀なくされたアプリリアでのMotoGP時代、そして今の素晴らしい環境について語る。

レディングにとってMoto2昇格が大きな転機だった

ジョナサン・レイ

「125ccに参戦して、その後Moto2でレースをしてきたわけだけど、それぞれどんな感じだったんだい?」

スコット・レディング

125ccの1年目は良くて、2009年の2年目は苦労した。その時、既に今と同じくらいの身長があって(184cm)、体重も72kgだったんだ。ライバルはというと45kgでね。その時のバイクは速いけどレースの度に壊れるような代物で、これでもうキャリアはお終いだと思っていたんだ。それでシーズンエンドの1月になって、Moto2でMarc VDSが誕生した。」

「出来る出来るといって出来なかったチームでね。その時点での選択肢は引退するか、Marc VDSに賭けるかしかなかったんだよ。俺のキャリアにおいて、あの時の転向が出来ていなければ今のこのキャリアはなかっただろうね。君の場合は世界選手権はホンダでデビューしたんだっけ?」

ジョナサン・レイは2014年にDucatiに加入していた可能性があった

ジョナサン・レイ

初めての世界選手権(2008年)はTen Kateホンダから参戦したワールドスーパースポーツだった。チームメイトはアンドリュー・ピット。バイクは最高でチャンピオンシップ2位を獲得出来たよ。その年は最終戦ポルトガルでワイルドカードでWSBKに出場も出来た。トロイ・ベイリスの最後の年で彼と一緒に走ることも出来たし、レース1では4位を獲得出来たんだ。

「その後はTen Kateで2年FIM スーパーバイク世界選手権(SBK)で走った。それからしばらくずっとホンダで走ってきたけど、言われているほどにバイクは悪くなかったんだ。速さはあったし優勝も出来た。ただ安定感がなかったんだよ。」

「2013年終わりでホンダを出ようと思っていて、移籍話に関しては、ヤマハにもBMWにも誘われた。Ducatiとは契約直前までいったこともあるので、Ducatiの人達には申し訳なかったなと思ってるよ。もしDucatiに加入していたら、今は全く違うキャリアだったろうね。カワサキと契約を結んだことは自分にとっては人生の中で最高の決断だったね。

「あの時はスコットがアプリリアで苦しんでいるのを見ていたので、本当に残念だと思っていたんだ。チームがライダーのことをしっかりと支えてくれない環境というのは、悪夢以外の何物でもない。

アプリリア・レーシングチームは本当に酷いチームだった

スコット・レディング

アプリリアは本当に酷いチームだった。人生の中であそこまで最悪な状況でレースをしたことはなかったよ。全く理解が出来ないほど酷い環境で、一体何が起きているんだ?って感じだった。とにかくこの状況を終わらせて、自分のキャリアを立て直す必要があると強く感じたんだ。

そして2019年にBSBに行ってキャリアを立て直すことが出来たんだ。それまではレースが嫌いになっていたし、バイクのことを見るのも嫌なくらいになっていたんだ。今はまたバイクでレースをすることが楽しくなった。世界レベルのFIM スーパーバイク世界選手権(SBK)という舞台で、素晴らしいチームとバイクに支えられている。

「FIM スーパーバイク世界選手権(SBK)には最高のライダーが集まっているし、今まで最悪な時期があった後に、こうして素晴らしい時間を楽しむことが出来ていると感じるよ。
スコット・レディング
(Photo courtesy of Pirelli, Michelin, Ducati)