今年で30周年となるテック3のチーム代表であるエルベ・ポンシャラルが、過去を振り返り様々なエピソードを紹介している。日本人と縁の深いテック3だが、エルベ・ポンシャラル自身も忘れられない友人、それが故 若井伸之だ。
若井伸之は親友と呼べる存在だった
エルベ・ポンシャラル
「1993年は日本人のプライベートチームを運営していたことがあり、彼らはヨーロッパでのレースの際は、テック3のワークショップやオフィスを使用していました。そしてそのライダーの1人が若井伸之でした。彼は125ccで参戦していて、私にとっては兄弟のような存在でした。共にトレーニングをし、自転車に乗り、親友と呼べる存在だったんです。」
「93年に彼は250ccにステップアップ、マシンはスズキでした。ファクトリーライダーではなく、テック3をベースとしてテック3のワークショップを利用していました。彼はオフィシャルライダーではなかったので、ジョン・コシンスキーが使用していたのと同様にスズキのバイクを使っていたんです。」
「事故の瞬間、私のすぐ目の前で、彼はボックスから出てトラックに合流するところでした。しかし、突然ピットレーンを横切る形で飛び出してきた観客にぶつかり、彼はピットレーンの壁に頭を強打、そして亡くなりました。」
「こうした事故、悲しい出来事は常に対処が難しいものですし、受け入れ難いものです。しかし、それが自分にとって近い存在の人で、且つ若く、素晴らしい人物である時はなおさらです。彼とは本当に素晴らしい関係の間柄だったんです。」
「レーシングアクシデントではありますが、同時に速度はわずか60km/hから70km/h程度しか出ておらず、観客が飛び出してきたと理由もあって、本当に信じられないような事故でした。忘れることが出来ない記憶ですよ。」
「彼には素晴らしい未来が待ち受けていたはずです。もちろん彼のご両親が訪ねてきていろいろなことがありました。自分がレースをする環境を手助けした人物が亡くなるというのは本当に悲しくて、また責任も感じます。彼が愛することを実現する手伝いをしていて、結果的に悲劇で終わってしまったんですから。」
「彼のご両親はポジティブにいなさいと言ってくれました。”息子は愛することをしながらこの世を去ったんです。”と言ってくれました。けして忘れることはありません。プロとして生きてきた私の人生の中で、最もタフな瞬間だったと言えるでしょうね。」
(Source: Tech3)
(Photo courtesy of Tech3)