先週MotoGPは2025年の開幕戦をタイで終えた。結果は皆さんご存知の通り、予選からスプリントレース、決勝レースまでマルク・マルケスが圧倒的な勝利を飾る展開となった。練習走行、予選から圧倒的なスピードとペースを発揮したマルク・マルケスだが、決勝レースではタイヤ空気圧が規定よりも低いというトラブルに見舞われた。

マルク・マルケスはこの状況からも優勝を手にしたわけだが、その凄さは見ているだけ、彼のインタビューを読むだけではわからないかもしれない。そこで、今回はコラムとしてマルク・マルケスが日曜日の決勝レースで見せた戦略の転換、そして極限のコンディションでどれほど凄いことをしていたのかを解説したい。

問題はタイヤの空気圧が低かったこと

マルク・マルケスは今年からDucatiレノボチームに移籍しており、チームとの働き方、マシンのセットアップについては、チームと共に最適な関係を作りあげている途中だ。今回決勝レースにおいてマルク・マルケスのDucati GP24.5(選手がこう呼んでいるので、あえてこの表記にしている)のタイヤ空気圧が低かったのは、チームもマルクの走り方、タイヤへの熱の入れ方を理解しきれていない部分があったのかもしれない。

いずれにせよ、2024年に導入されたレギュレーションにより、レースの規定周回の60%でタイヤは規定空気圧を超えている必要があり、規定の空気圧をレース周回の60%で満たしていない場合、グランプリレースでは16秒のタイム加算ペナルティが課せられる。灼熱の決勝レースの場面で急遽この問題を突きつけられたマルケスは、数周走行した後に一時的にペースをダウン、タイヤの空気圧を上げるため2位を走る弟アレックス・マルケスの背後につけて走行するという戦略を取った。

決勝レースでのマルク・マルケスの走りを振り返る

ポールポジションで迎えた決勝レースの規定周回数は26周。マルク・マルケスは良いスタートを決め、序盤から一気にトップに立って走り出した。この日の決勝レースの戦略について、マルク・マルケスは決勝後に次のように語っている

「今日の戦略はスタートから2周プッシュするというものでした。ペッコが終盤にアタックをしかけてくることは予想していましたから。」

つまり、当初はレース終盤に追い上げてくるであろうフランチェスコ・バニャイアを警戒して、レース開始直後から、この週末に発揮していたペースで後続を引き離す戦略であったことがわかる。

「スタート後の最初の2周は快適に走行していましたが、タイヤ空気圧が適正レンジではないことに気がつきました。ですから2周目から3周目にかけてブレーキングを強く、長くかけて空気圧を上げるようにしたんです。」

「ただ、自分一人ではタイヤに十分に熱を入れることが出来ないということに気が付き、アレックスを待って彼の後ろに入る戦略に切り替えました。その時点の残りの周回数とタイヤ空気圧のレギュレーションを考えて必要な周回数を計算し、残り3周時点でアタックをかければ問題ないと計算して、残り3周でアタックを仕掛けました。」

マルケスはスタートして数周走った時に、自身のマシンのタイヤ空気圧が低いことに気がつき、数周に渡ってハードブレーキングを行い、タイヤ空気圧を上げようと試みる。タイヤ内の空気は当然ながら温度が上がると体積が増加する(※熱膨張)が、単独走行でハードブレーキングを繰り返してタイヤを縦方向に強く揉んでもタイヤの空気圧が十分に上がらないことを悟ったマルケスは、他のライダーの背後に張り付き、ライバル車からの排熱(ダーティーエアー)をもろにタイヤに浴びせることで、タイヤを強制的に温める戦略を取った。

マルク・マルケスの何がすごかったのか?

タイヤの空気圧が低かったという今回の問題の内容、マルケスの決勝レースでの走り、そして走りながら何を考えていたのかがわかったところで、今回のマルケスの何が凄かったのか?を解説していこう。

1 : トップペースで走りながら戦略を再構築、これを成功させた

まず今回のタイの決勝レースの周回数は26周。タイヤの空気圧レギュレーションでは周回数の60%で規定空気圧を超えていなければならない。そうなると、15.6周、四捨五入して16周は規定の空気圧で走行をしている必要がある。

マルク・マルケスが問題発生後、何周にわたり自分だけでこの問題を解決しようとしていたか定かではないが、アレックス・マルケスの背後にピタリとつけたのは7周目の周回中だった。仮に6周目までに戦略を立案、7周目に背後につこうと考えていたと仮定すると、7周目に突入する時点でレースの残り周回数は19周となる。

このうち16周でタイヤ空気圧を規定以上に保ったまま走行をすると3周が残る。つまり、ラスト3周の時点でアレックス・マルケスを抜き去り、アレックス・マルケス、フランチェスコ・バニャイアを抑えて完走することが出来れは優勝という手筈だ。

そしてマルケスはこの戦略を完璧に実行。7周目走行中に突如スローダウン、後ろを振り向いてアレックス・マルケスの背後に飛び込み、以降は灼熱の環境の中で弟の背後に付いて走行を続け、残り3周で前に出てギャップを形成、そのまま優勝を遂げたのだ。なお、この戦略についてマルケスは下記のように語っている。

「アレックスの後ろで必要な周回数をこなし、それからアタックをかけました。今日はスピードがあったのでこういった戦略を取ることが出来ましたね。」

2 : 極限のコンディションでの戦略実行

タイGPの週末は凄まじい暑さとなり、多くのライダーがこの暑さについて苦言を呈しており、気温と路面の暑さだけでなく、マシンからの熱によって火傷をしたというライダーも少なくなかった。気温は36℃、そしてなんと路面温度は50℃という熱中症になっても不思議では極限のコンディションだった。

なお、レースタイムは約40分。グリッドでの待機時間、ウォームアップ等も含めると1時間近くこのコンディションで選手たちは戦っていたことになる。そしてマルケスの場合、こうした極限のコンディションで走行するだけでなく、走行中に上記で解説したような問題を経験、試行錯誤の結果、弟の後ろにつく戦略を立案、そして弟の後ろで16周に渡り超高温の排気熱をタイヤと自分自身に浴びせて走行を続けていたのだ。

マルク・マルケスを超える選手は現時点で恐らく存在しない

対して参考にはならないが、筆者は600ccで国際サーキットをスポーツ走行することを趣味の1つにしているが、昨年8月にFISCOで走行した際のコンディションが非常によく似ていた。気温35℃、路面はまさに同じく50℃で、走行前に「マジカヨ。。」となったのをよく記憶している。

こんなコンディションではスポーツ走行枠20〜30分(※曜日等で異なる)を全力で走り続けることは無理だったし、ましてや走行中に「レース周回数が◯周、レギュレーション上は◯周を規定空気圧で走行する必要がある、現在◯周を走行ということは。。」なんて複雑な計算は絶対に出来ないし、計算しながら走ったらタイムが激落ち、もしくはミスをするだろうことは明らかだ。

もちろんプロ選手のフィジカル、技術レベルは理解が及ばない程に桁が違う事は理解しているし、マルク・マルケスはその中でも一握りの超一流選手であることは理解している。それにしても、灼熱の極限のコンディションで決勝レースを走りながら戦略を立て直し、ミスなくこれを実行して優勝、レース後のインタビューでこうした戦略をさらりと笑顔で語る姿は脱帽ものだったし、同時に「やはり、マルク・マルケスは他のMotoGP選手とは全くレベルが違う、彼を超える選手は現時点でいない。」ということを再認識させられた。

カル・クラッチローがMotoGPを引退した後に、「マルク・マルケスをファクトリーDucatiに乗せたら、勝てる選手なんて一人もいないぜ。」といった趣旨の発言をしていて、当時その通りだなと思っていた。ただ、それは恐らく実現せずに、「マルケスはもしかしたらこのまま終わってしまうのか?それはMotoGPにとってあまりにも大きな損失だ。」と感じていたので、マルク・マルケスがレプソル・ホンダ、ファクトリーのナンバーワンライダーという地位、家族同然のチームスタッフ、すべてを捨ててGresini Racingに移籍した決断を応援していた。

そして、Ducatiで走ることでレースをすることを再び楽しめるようになっていったのを見ることが出来た2024年シーズンは、ホルヘ・マルティンとフランチェスコ・バニャイアのバトル、チャンピオンシップ争い以上に楽しめたし、Ducatiレノボチームに移籍して予想を上回る活躍を見せてくれた2025年シーズンの開幕戦タイGPは本当に楽しめた。

「タイでは最初から良いフィーリングがありました。状況は変わるかもしれませんが、今のこの瞬間を楽しんでいきたいですし、シーズンを通じてそうしていきたいですね。」

マルケス自身も今後も同じような走りが出来るかわからないとしつつ、この瞬間を楽しんでいきたいと語っている。MotoGPファンとして、マルク・マルケスのファンとして、今シーズンは本当に楽しみで仕方がない。

(Photo courtesy of michelin)