最後のアクシャルブレーキを搭載したバイクの栄光
1990年代後半から、スペインのライダーたちがプレミアクラスでの影響力を増してた。特にアレックス・クリビーレが1996年に準優勝し、1997年には怪我のためにシーズンの三分の一を欠場したものの、1998年には3位、そして1999年にはチャンピオンに輝いた。彼の勝利は、290mmおよび320mmのカーボンディスクとブレンボの4ピストンキャリパーを装備したホンダで達成された。
彼が使用したアクシャルキャリパーは、2000年にケニー・ロバーツJrがスズキで優勝し、ラジアルキャリパーを採用してからは、プレミアクラスでのチャンピオンシップを勝ち取った最後のアクシャルキャリパーとなった。ラジアルキャリパーという革新的な解決策を実現するため、ブレンボのエンジニアは粘り強く取り組んできた。初めてこの新技術を試したのはアプリリア250で、その後スズキのファクトリーバイクが続いた。クリビーレがタイトルを確定させた1999年シーズンの終わりに、これらの成功を受けてHRCチームも使用を開始したものだ。
ヘレスサーキットでの最も厳しいターン
ヘレスサーキットのターン6は、ブレーキシステムにとって最も厳しいターンだ。MotoGPバイクは、296km/hから67km/hまで5.1秒で減速し、その過程で229メートルを走行する。ライダーはブレーキレバーに5.5kgの荷重をかけ、減速は1.5g、ブレンボのブレーキフルード圧力は11.7バーに達し、カーボンディスクの温度は700°Cに達する。
バレンティーノ・ロッシとジベルナウ
2005年、MotoGP世界選手権はヘレスで開幕した。バレンティーノ・ロッシが予選でセテ・ジベルナウに0.5秒差をつけてポールポジションを獲得。2人の関係は前年のカタールで悪化していたが、ロッシはレース中、最終ラップでブレーキングミスをしたにも関わらず、最終コーナーの内側からアタックし、ジベルナウを外側に押しのけて優勝を飾っている。
デザインの達人たち
1958年の冬、パブロ・ピカソはカンヌで「Las guirnaldas de la paz」をシトロエンDS19の側面に描き、一躍注目を集めた。ブレンボもカラーキャリパーを通じて、1992年以降車のカスタマイズに貢献している。赤は最も象徴的な色だが、カラーリングには150以上のソリューションがある。ブレンボは色を通じて「単純な」機械製品を真のデザインアイコンに変えたのだ。
(Photo courtesy of brembo)