2020年は誰にとっても激動のシーズンだった、今までの時点で9人の異なるライダーが優勝しており、今年タイトルを獲得したジョアン・ミルもその1人だ。タイトル獲得をシーズン1勝で達成したジョアン・ミルだが、今年誰よりもコンスタントな走りをした結果が実った。
タイトル獲得に何よりも必要なのは、常に安定してポイントを稼ぐこと。雨の日も晴れの日も、セッティングが出ない日も、タイヤからフィーリングが得られ無い時であっても、安定して結果を残しノーポイントのレースをなくすこと。今年ジョアン・ミル以外に完璧なシーズンを送った選手はいないだろう。
スズキに移籍を決めた2018年当時、スズキの伝説のライダー達に将来的に名を連ねるために契約を決めたと語るミルだが、まさか最高峰クラス参戦2年目にタイトルを獲得することになるとは、本人も思っていなかったと語る。残りはいよいよ今週の最終戦。伸び伸びとレースをして欲しい。
タイトル獲得はまるで実感が沸かない
ジョアン・ミル
「自分が2020年のMotoGPチャンピオンだなんて、まるで実感が湧きませんね。10歳くらいからずっと最高峰クラスでタイトルを獲得したいと思ってきたんです。今まで支えてくれた人達、今の自分を形作ってくれた人々に感謝したいです。」
「まずは家族、そしてチャンスを2018年にくれたスズキにも感謝したいです。2年後の2020年にタイトルを獲得出来るなんてまるで思っていませんでした。タイトルを獲得するのはもう少し先だと思っていましたから。」
「今日はレース前に落ち着いて見えたかもしれませんが、実はプレッシャーに押しつぶされそうでした。今年はトラック上のプレッシャーだけでなく、家にいる中でもウイルスに感染しないようにというプレッシャーもありましたので難しい1年でした。支えてくれたクルーに感謝したいですね。」
ミサノあたりからタイトルを獲得出来ると思った
「スティリアでは優勝出来るパフォーマンスがありました。しかしミサノ、バルセロナを超えたあたりから、”スティリアだけで戦闘力を発揮出来るわけではなさそうだぞ”と感じたんです。そのあたりから、今日まで表彰台争いを出来るパフォーマンスを継続して発揮出来ました。ですから、タイトルを意識し始めたのはミサノあたりからですね。」
スズキでのタイトル獲得は、他のメーカーでのタイトル獲得より価値がある
「スズキと契約をしたのは長年タイトルを獲得出来ていないメーカーだからです。もちろんいずれのメーカーであってもタイトル獲得は価値のあることです。しかし、あの時点でスズキと契約した自分は我ながら勇敢だったと思います。2年間でここまでのスピードを発揮出来るとは思っていませんでしたからね。」
「今年はスズキのバイクは最高の働きをしていますが、スズキのバイクで優勝すること、タイトルを獲得することは、他のメーカーで獲得するタイトルよりも、自分にとっては遥かに価値が大きいものですね。」
Moto2で2年目を過ごさず、MotoGPに昇格したのは正しかった
「2016年にデビューして4年でMotoGPワールドチャンピオンになれると誰かが過去に言ってきたとしたら、”頭がおかしいのか?”と言ったでしょうね(笑)自分はレースごと、シーズンごとにバイクに素早く順応することができました。そしてこれこそがMotoGPで2年目にタイトルを獲得出来た理由でしょうね。」
「Moto2ではおそらく1年間を無駄にしたと言えると思います。本当は2年間Moto2で走りたいと思っていたんですが、当時はそれは現実的な選択ではありませんでした。ですから1年でMotoGPにステップアップしたのは正しい判断だったと言えるでしょう。」
スズキの強さは日本人とイタリア人の組み合わせ
「マヨルカ島出身のライダー達が素晴らしい成績を残していることについて多くの人から聞かれますが、正直理由はわかりません。(※ホルヘ・ロレンソもマヨルカ島出身)多くのスポーツ選手を生み出していますけど、マヨルカにあるのは綺麗な空気と海くらいですからね(笑)これが理由なんでしょう(笑)マヨルカの人は意思が強いというのはあるかもしれませんね。これはスポーツにおいては非常に重要なことです。」
「Team SUZUKI ECSTAR(チーム・スズキ・エクスター)の強さはイタリアチームと日本の組み合わせによるところがあると思います。ダヴィデ・ブリビオ、そして多くのスタッフがイタリア人ですね。日本人の冷静沈着、真面目なところ、イタリア人の陽気さが素晴らしい組み合わせになっていると思います。」
ブルノの怪我は自分を強くしてくれると思っていた
「昨年はブルノで大怪我をしました。レースごとに調子を上げていて、ブルノでは表彰台を争える速さがあったんです。しかしあそこで怪我をしてしまったんです。でも、怪我からの回復も自分の仕事だと思いましたし、あの怪我のせいで最終戦の時点でも疲れが取れず、フィジカル面で100%と言える状況ではありませんでした。」
「MotoGPでは全体で100%で走れなければトップ10に入ることも難しいものです。しかしこういう怪我、苦しい時は必ずや自分を強くしてくれると信じてやってきたんです。」
過去のライダー達の功績、リンスの功績は大きい
「アレックス・リンスとイアンノーネ、そしてマーべリック・ビニャーレス、アレイシ・エスパルガロが成し遂げた仕事によってバイクがどんどん良くなっていったと思います。アレックスは最も長くスズキにいるライダーですから、彼のインプットが大きな影響を及ぼしていることは間違いありません。」
「彼は素晴らしいチームメイトですし、トラック内外で互いに尊敬しています。そして互いに競争しあって戦っていくことで、今年数々の表彰台を獲得出来たのでしょう。チームメイトがプッシュしていると、こちらもインスピレーションをもらいます。今年彼は開幕戦で怪我をしてしまいましたけど、限界でプッシュをする中で怪我はつきものですね。」
2019年の苦戦は無駄ではなかった
「ファビオ・クアルタラロが昨年結果を出していましたが、今までは別のカテゴリーで争っていましたし、自分が速い時もありました。ですから昨年はなぜ戦闘力を発揮出来ないのだろうと思っていました。しかし、今年の結果は昨年苦しんで学習した結果ですから、昨年は無駄ではなかったと言えるでしょうね。」
今回のレースはシーズンで最も苦戦した
「今回のレースは実は悪夢のような内容でした。今回はシーズンの中で最も苦戦しましたね。ここまで苦戦するとは思っていませんでしたが、タイトルを獲得をしたのでもはや気にしていません。何度もフロントから転倒しそうになりましたし快適ではありませんでした。こうした内容の改善に今後取り組んでいきます。」
次々とステップアップしてきたことが役立った
「最初はミニバイクから初めて、奨励制度を使って125ccクラスで勝利したんです。そしてルーキーズカップに参戦してMoto3バイクに乗りました。当時は本当に体が小さくてバイクコントロールが難しかったんです。2年目からしっかりとコントロールしてタイトルを争うことが出来ました。」
「そしてその翌年にCEV Moto3に参戦したんです。CEVでは優勝出来なかったんですが、なぜか一番に世界選手権Moto3クラスに参戦出来ました。そして翌年はKTM、ホンダで走り、カレックスのバイクでMoto2に参戦しました。」
「自分はまったく同じバイクで2年間走ったことはないんですが、これがバイクへの適応能力を加速させたのかもしれませんね。こうして2年間スズキで走るというのは初めての経験ですが、いいものですね。」
ファンがいないことはプレッシャーの軽減にはならない
「今年ファンがいないことでプレッシャーが軽減されたということはありません。それよりも新型コロナウイルスに感染しないことのほうが大きなプレッシャーでした。家にいても100%リラックスすることは出来ませんでしたしね。」
スズキの伝説に名を連ねるためにスズキと契約した
「スズキでタイトルを獲得したバリー・シーン、フランコ・ウンチーニ、ケヴィン・シュワンツ、ケニー・ロバーツ・ジュニアなどは本当に何十年も前の選手で伝説的な存在です。こうしてその中に自分の名前が刻まれるのは最高の栄誉ですし、だからこそスズキと自分は契約したんです。」
マルクは復帰後しばらく苦戦するだろう
「マルクは過去数年最速の選手ですが、今年は残念ながら怪我のせいで参戦出来ませんでした。彼が復帰した時に今のMotoGPのレベルの高さに驚くとは思えませんが、最初のテストや走行では苦戦するでしょうね。」
普段レースを見ない母が、今日は来てくれた
「父と母は性格が異なりますし、それぞれに良さがあります。2人の性格が自分にも反映されていますし、本当に彼らには感謝しています。フランコ・モルビデッリのように枕元にセナの写真を飾ったりしていませんが、バレンティーノ・ロッシのバイクのミニカーをいくつか持っていますよ。ただ、父の家にですけどね。」
「母はレースを見に来たことはないんですよ。ですから今日ここに母がいることは驚きですね。今までは結果しか見ていなかったんですが、今日は本当に来てもらって良かったですね。」
バイクを始めたのはロレンソの父のスクールから
「自分がバイクに乗り始めたのはロレンソのお父さんが運営するスクールでのことです。その当時ホルヘはレースで勝利を重ねていましたから、いつか彼のようにMotoGPで優勝したいと思っていました。ホルヘの父は、自分を指導していた時に”ミルは真面目に取り組んでいないと思っていた”と話していますが、別に悪気があって言ってるわけではないでしょう。」
「自分の周りにいた人達は、あの当時の自分がどれほど真面目にバイクに打ち込んでいたか知っているはずです。ただ、ホルヘの父(チッチョ)も自分が彼のスクールに通いだした1年目に思ったことですし、当時9歳の少年にそんなことを求めるのは難しいでしょう。その当時は何をやりたいかなど、そこまで明確にわかっていたわけではないんですから。」
(Source: suzuki-racing)
(Photo courtesy of michelin, SAK_ART DESIGN)